第1回!ATOMicaスタッフ紹介!
ATOMicaコミュニティマネージャーの日永純治(ひえいじゅんじ)です。1971年生まれの年男なので今年で48歳になります。年齢の話はあまりしたくないのですが、半世紀近く生きていると、好むと好まざるとにかかわらずいろいろな属性が付くものです。人の縁はそれぞれが関わったコミュニティの多さや濃度によって広まっていくものですから、どこでどう繋がるかはいつも意外な驚きに満ちています。特に宮崎は交友関係の狭さが日常会話になるほどですから、どこかで繋がりがあることを期待して簡略な自己紹介をさせて頂きたいと思います。
私は左利きでさそり座のA型です。生まれは熊本県なのですが、母の実家が宮崎市南高松町だったので、幼少期に2年ほど宮崎市に住んだことがあります。カトリック幼稚園を出て小戸小学校に入学したのですが、ほどなく父の転勤でブラジルに住むことになりました。こちらも2年ほどだったのですが、後の人生に大きな影響を与えました。その後は高校を卒業して1年間の浪人生活まで、あちこち転々としながらも主に熊本市で過ごし、東京の立教大学という私立の学校に入学したのを転機に関東地方で30歳を過ぎるまで生活しました。東京都内だけでなく、横浜や船橋、川口などに住んだのですが、両親が脱サラしてファミリーマートのオーナーになったことで実家が宮崎になり、紆余曲折の人生を経て宮崎市に移り住むことになりました。
しばらくは真面目にコンビニエンスストア運営に取り組んでいたのですが、宮崎に知り合いが全然いないことに焦燥感を感じ、大学の同窓会である校友会の活動に積極的に顔を出すようになりました。大学時代は体育会応援団に所属していたので会合の度に校歌をリードしエールを振っていました。そのうち活動範囲が九州全域に広がるようになり、今では全国の校友会の副会長を務めております。
5年ほど前に、鹿児島にお住いの大学の先輩に誘われる形で子どもに対するボランティア活動を始めることになりました。
児童養護施設や里親の下で育った子供たちが大学などに進学するときの生活費などを無償給付する活動や、小学校内で行う子ども食堂など、未来を担う子供たちへの支援を続けています。
家庭においては一児の父親で、自分の至らなさを写し取った小学校3年生男児と、しっかりしているようで少し抜けたところのある妻、そして2匹の牝猫と暮らしています。1匹は妻の連れ子ですが、もう一匹は結婚してすぐの頃に生目の杜運動公園に捨てられているのを拾いました。それまでイヌ派だった私をすっかりイヌネコ派にしてくれました。
趣味のランニング、はもう走らなくなってから随分経ちました。一時期はかなり頑張っていて、7年連続で青島太平洋マラソンに出場したのですが、フルマラソンを4時間切って走れるようになったあたりで燃え尽きました。時間を見つけて再開したいです・・・。
宮崎に根を張って10数年、いろいろな方々と交流し、親交を深めて参りました。多くの方から受けた恩を返すためにもこの中心市街地を活性化し、人々が熱く交流できる場を提供していきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。